かつて我が国には自然を愛で神を崇拝し生活の数々の場面でその恵みに感謝する風習がありました。その様な風習のなかからおのずと生まれた信仰が「神道」です。人々は山や巨岩、大木を神の座と崇め周囲の森を"神聖なる場所"としました。やがてそれが神社になったのです。
人々は神社に集い人と人との繋がりが営まれました。神社はまさしくコミュニケーションの場だったのです。
このページでは古くから伝わる風習を紹介致します。古人の心に触れ一度神社に足を運んでみませんか。
氏神様、また遠方の神社に行かれ神様のご神徳を授かりましたならば、古くから伝わる日本の風習、神社や神道を大切にされる気持ちが生まれてくる事と思います。
元旦の朝は、お屠蘇を神様に捧げて「一人これを飲めば一家疾なく、一家でこれを飲めば一里なし」と唱えて年少の者から順番に東を向いて飲んでいくのが習慣でした。
お屠蘇は6種類の生薬からできており、体を温め、消化機能を整える作用があります。
正月に飲むという事は、寒い季節にかかりやすい病気を防ぐ効果もあるのです。
お屠蘇というものは、古代中国、漢の武帝の時代に華佗(かだ)という医者が発明したもので、日本には嵯峨天皇の時代に伝わりました。最初は宮中で飲まれていましたが、次第に民衆に広がったようです。
神道の昔からの風習で、"歳神様"を正月に家に迎えるための目印として家の門にたてられていました。材料は松・竹・梅というめでたい植物を使用しています。今でこそ華やかに飾られた門松を目にしますが、昔は根のある松の木を門の前に植えていたそうです。12月26~28日に飾りだし、1月6~7日にしまうのが 一般的だそうです。
赤ちゃんが生まれて初めて迎える正月を『初正月』と言います。古くからこの初正月を祝って祖父母、隣近所、友人等が赤ちゃんに贈り物をする風習がありました。
男児には破魔弓、女児には羽子板を送ります。もらった家は、赤ちゃんの魔除けとして、または健やかに育ってほしいという願いをこめて飾ります。
本来は季節の変わり目を表し、年4回ありましたが、現在は春の節分(2/3)が残るだけとなりました。
豆をまく習慣にまつわる、この様な話があります。
昔々、ある山奥に鬼が住んでおり、ふもとの村人に恐れられていました。
この鬼が村へやってきた時、村人たちはたくさんの炒った豆を鬼に投げつけ、その目をつぶし追い払ったそうです。
これが「豆まき」の始まりと言われています。「鬼は外」の「鬼」は、冬の寒さや病気、災難などを表し、悪事を追い払って新たな気持ちで春を迎えるという意味がこめられています。
1月7日は『七草粥』を食べて無病息災を祈願する日です。江戸時代には『人日』と言って、五節供のひとつになっていました。この時期は、お正月にお餅を食べるなどして青菜の不足しがちな時期でもあり、それを補おうとした古人の優れた知恵と言えます。
~春の七草~
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ
四季のある日本では、昔からその季節に合った祭りが営まれてきました。年の初めから春にかけては、その年の幸いを祈る祭りが行なわれます。田植えの頃になると、豊作を祈願し、神田に苗を植える行事を中心とした御田植祭が各地で行なわれ、秋にはその稔りを神に感謝する収穫祭が行なわれます。農耕民族の日本人にとって、春・秋祭は太古の昔から大切にされてきました。これに比べ、「夏祭」というものは歴史が浅く、中世以降、都市の発展に伴なって疫病を防ぐことを目的とした祭りが農村の水の祭りと結びついて行われる様になりました。華やかな祭りが多く見られます。冬は神楽の季節です。"神楽"とは、舞踊を伴なう鎮魂の事で、古くには「神遊び」とも言われていました。
昔、日本には端午の節句(5月5日)に、菖蒲湯に入る風習がありました。旧暦のこの季節は梅雨が始まる時期で、昔は湿気のためなのか、色々な病気が発生しやすい時期だったと言われています。そこで、病気にかからないように菖蒲湯につかりました。菖蒲には、体を温める作用があり、体内の異常な水分を正常に戻す働きがあります。その効果が"魔除けの植物"として、庶民に浸透したのです。
昔、我が国日本には“お月見”という風習がありました。陰暦の8月15日(現在の9月中旬)には、縁側に酒徳利、団子などを供え、お月見を楽しみました。さらに平安時代にまでさかのぼると、「中秋の名月」といい、芋を供える風習だったのです。そこから「芋名月」とも呼ばれていました。ちょうど農作物の収穫の時期であり、農耕の神様への感謝の気持ちを表す信心深い 行事でした。
厄年というものは、個人にとって忌み慎むべき厄難のある大切な年ですが、その人の子供にもふりかかるといういわれがありました。厄年の親から生まれた子供は、親の厄を引きずらないようにと一度捨て子にし、親戚の誰かに拾ってもらって改めて“養子縁組”をするという風習がありました。 更にはその子供の名前に「捨」という字を含めるという事もされていたそうです。
日本人が食事に箸を使い始めたのは、正確な記録はありませんが奈良時代と言われ、古事記には “神代から使っていた”との記録もあります。現在でも「手食」の習慣が世界的に多いのに対し、食物を手でつかむ事を嫌い、箸を神聖視してきた日本は、古来の独特な習俗・食生活から形成された文化をもつ国です。
その昔多くの参拝者で賑わっていた神宮のおひざもと・伊勢の宿では、参拝に来た人々に神宮の御神木で作った箸をさしあげ、それで食事して頂いていたそうです。
建築の祭事について
建物(家)を建てる際は、神主様に様々な祭事をとり行って頂きます。
神様の恵みである土地の使用の許しを得て、工事安全と、
今後の生活をその土地の神様(氏神様)にお守りいただけるよう祈願する祭事です。
この項では、それらの祭事についてご紹介します。
その土地の神様に工事開始をお伝えし、安全を祈ります。
そしてこれからの生活のご加護を祈願する祭です。
「むねあげ祭」「たてまえ」といい、建築上最も大切な棟木を棟に上げる時に、神様にこれまでの工事の安全を感謝し、今後の工事のご加護を祈願する祭です。
完成した建物を祓い清め、神様に無事完成した事を感謝の気持ちで奉告し、その建物に住む方の繁栄を祈願する祭です。
無事に建物が完成した事を神様に感謝し、新しい神棚にお鎮まりいただき、末永くお守りいただく事を祈願する祭です。
詳しくは氏神神社様、
または施工業者にお問い合わせ下さい。
全国的には注連縄を飾るのはお正月のみですが、
伊勢では一年を通して注連縄を飾ります。
これは蘇民将来(そみんしょうらい)の民話に
由来しています。
伊勢の地を訪れたスサノオノミコトが泊まる宿が無く困りはてていると、蘇民将来の家がありました。
スサノオノミコトが宿を乞うと心の優しい蘇民将来は快く引き受け、貧しいながらも心を尽くしてもてなしました。スサノオノミコトは大変喜び、蘇民将来に茅の輪を授け「疫病があれば、蘇民将来の子孫だと言って、腰に茅の輪を下げれば難を逃れるだろう」と告げました。以来、蘇民将来の子孫はいつまでも栄えたといいます。
この民話から、伊勢地方では注連縄に「蘇民将来子孫家門」と書いた木札を付けて一年中飾り、無病息災を願う風習があります。
宮中や神殿の四方に掲げ、鬼門を封じ結界を張ることで邪気を祓い、磁場を整え聖域にする為に用いられるものです。
東北に青玉、東南に赤玉、西北に黄玉、
西南に白玉をお掲げします。
これは四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)
を意味します。
この御守はご家庭用として小型化した御富岐玉で、リビングや子供部屋の四方に掲げると、各方位を守護する四神の御神力により家族団らんの場と、心の平穏をお守り頂けます。
従来の御富岐玉よりずっと小さいコンパクトサイズ。
お部屋に溶込むシンプルなデザインです。
こちらの神社で
お受け頂けます
玉部分が四神の飾りになった御富岐玉もございます。
お祀りの仕方は御富岐玉と同じです。
こちらの神社で
お受け頂けます。
神様のご加護を戴いて
清らかな気持ちで
お過ごし下さい。
年末の氏子への御札頒布時にお役立て下さい
御札の基礎知識やお祀りの仕方を
氏子の皆様に説明しやすいよう、リーフレットを作成致しました。
下記アイコンクリックでダウンロード・プリントアウトして頂き、頒布時にお役立て下さい。
当社では、神様、神使い、神楽の主な舞をモチーフにした
オリジナルキャラクターを作製しております。
お子様の神道教育にもお役立て下さい。